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RMSの主張は原理主義的、理想主義的、極端と見られることが多いけれど、ソフトウェアの自由に関する様々な議論って、結局は、ビジネスとRMSの間に立って現実的な場所を探る作業になってることが多い気がする
だから、RMSの意見には賛同しないことが多いけど、彼がいなくなったら、あるいはFSFが力を失ったら、ソフトウェアの自由は、なし崩し的にビジネスの都合に飲み込まれてしまいそう
賛同できないけど、がんばれRMS!
>ソフトウェアの自由は、なし崩し的にビジネスの都合に飲み込まれてしまいそう
え?それが理想なんですけど生活するために金が必要ですけどコード書いて生活できてんの?ん?
昔はフリー精神素晴らしいと無邪気に考えてたが今はこの考え方に近くなってる。競合に究極的な薄利多売をする連中がいればそりゃソフトウェアの金銭的価値は減るよ。
フリーソフトウェアがなくて存在したはずのフリーソフトウェアと同じ高さに立って商売するか、フリーソフトウェアがあってその上に立って商売するかの違いでしかないよ。後者だとフリーソフトウェアの上に立たないという選択肢は辛いというある種の強制があるけど、コンピュータの数は前者よりずっと多くてハードウェアが安い。
そりゃ、無料で作れる程度のソフトウェアしか作れなければ、競合するよね。
音楽や漫画や動画や小説など、アマチュアの表現欲求に基づく行為として無料でいくらでも公開されてるけど、それにプロが反対するなんて話はあまり聞かないですよね。
そもそもGNUが出来た頃の少し前のコンピュータ業界はソフトとはハードのおまけだった。つまり買ったハードを動かすためにソフトが提供されておりソフトはハードのおまけとして提供されるものだった。
特に問題ないような気がするが完全にハードベンダーロックインだった。欲しいソフトがあればそれ専用のお高いハードを買って、お高い保守契約を結ばなければならなかった。そんなんじゃだめだ誰でもソフトは自由に使えるべきだとしてGNUが活性化していった。つまり、ソフトに価値はなかったしGNUはソフトに価値を与えるための活動ではなかった。
いっぽう、どんなハードでもソフトを動かす仕組みがあれば、ソフトはハードのおまけではなくそれ自体が価値あるものとして市場を作れるという考え方もあった。こっちをやったのがM$で汎用OSとしてMS-DOSやWindowsを推し進めた。こっちはソフトを価値あるモノとして扱おうという方向。
つまり、ソフトに価値はなかったしGNUはソフトに価値を与えるための活動ではなかった。
ソフトウェアの自由と経済的な価値は直交する概念です。GNUはベンダーロックインを外すことでハードウェアのおまけでしかなかったソフトウェアに価値を与えたと思います。MSは別の層でベンダーロックインを行ったのでむしろソフトウェアの価値を毀損する方向でした。
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日々是ハック也 -- あるハードコアバイナリアン
原理主義的だけど、基準点でもある (スコア:5, 興味深い)
RMSの主張は原理主義的、理想主義的、極端と見られることが多いけれど、
ソフトウェアの自由に関する様々な議論って、
結局は、ビジネスとRMSの間に立って現実的な場所を探る作業になってることが多い気がする
だから、RMSの意見には賛同しないことが多いけど、
彼がいなくなったら、あるいはFSFが力を失ったら、
ソフトウェアの自由は、なし崩し的にビジネスの都合に飲み込まれてしまいそう
賛同できないけど、がんばれRMS!
Re: (スコア:0)
>ソフトウェアの自由は、なし崩し的にビジネスの都合に飲み込まれてしまいそう
え?それが理想なんですけど
生活するために金が必要ですけどコード書いて生活できてんの?ん?
Re:原理主義的だけど、基準点でもある (スコア:0)
昔はフリー精神素晴らしいと無邪気に考えてたが今はこの考え方に近くなってる。
競合に究極的な薄利多売をする連中がいればそりゃソフトウェアの金銭的価値は減るよ。
Re:原理主義的だけど、基準点でもある (スコア:1)
フリーソフトウェアがなくて存在したはずのフリーソフトウェアと同じ高さに立って商売するか、フリーソフトウェアがあってその上に立って商売するかの違いでしかないよ。
後者だとフリーソフトウェアの上に立たないという選択肢は辛いというある種の強制があるけど、コンピュータの数は前者よりずっと多くてハードウェアが安い。
Re:原理主義的だけど、基準点でもある (スコア:1)
そりゃ、無料で作れる程度のソフトウェアしか作れなければ、競合するよね。
音楽や漫画や動画や小説など、アマチュアの表現欲求に基づく行為として無料でいくらでも公開されてるけど、
それにプロが反対するなんて話はあまり聞かないですよね。
Re: (スコア:0)
そもそもGNUが出来た頃の少し前のコンピュータ業界はソフトとはハードのおまけだった。
つまり買ったハードを動かすためにソフトが提供されておりソフトはハードのおまけとして
提供されるものだった。
特に問題ないような気がするが完全にハードベンダーロックインだった。欲しいソフトがあれば
それ専用のお高いハードを買って、お高い保守契約を結ばなければならなかった。
そんなんじゃだめだ誰でもソフトは自由に使えるべきだとしてGNUが活性化していった。
つまり、ソフトに価値はなかったしGNUはソフトに価値を与えるための活動ではなかった。
いっぽう、どんなハードでもソフトを動かす仕組みがあれば、ソフトはハードのおまけではなく
それ自体が価値あるものとして市場を作れるという考え方もあった。こっちをやったのがM$で
汎用OSとしてMS-DOSやWindowsを推し進めた。こっちはソフトを価値あるモノとして扱おうという方向。
Re: (スコア:0)
つまり、ソフトに価値はなかったしGNUはソフトに価値を与えるための活動ではなかった。
いっぽう、どんなハードでもソフトを動かす仕組みがあれば、ソフトはハードのおまけではなく
それ自体が価値あるものとして市場を作れるという考え方もあった。こっちをやったのがM$で
汎用OSとしてMS-DOSやWindowsを推し進めた。こっちはソフトを価値あるモノとして扱おうという方向。
ソフトウェアの自由と経済的な価値は直交する概念です。
GNUはベンダーロックインを外すことでハードウェアのおまけでしかなかったソフトウェアに価値を与えたと思います。
MSは別の層でベンダーロックインを行ったのでむしろソフトウェアの価値を毀損する方向でした。