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まあ色々な経緯や葛藤があっての所業だとは思いますが、折角長年メンテナンスしてきたpackageと本人のキャリアを台無しにするよりは「もう知らんわーメンテせんわー他探してね」で良かったのではないかと思えてならないです。
いずれにせよ長年使われ続けたpackageを作るような開発者が、他ならぬ自分の選択で今後のキャリアや他のOSSにも多大な影響を与えてしまったのは残念です。
ご本人としての思いもあったのでしょうが、作為的にやったのなら広義にはテロと同じだと思います。
そもそもOSS自体がソフトウェア業界で働く人たちの仕事・収入を奪ってきたわけで(結果得したのは営利企業)、OSS自体が廃止していくべきものです。
日本の接触確認アプリのように、開発者が開発することを嫌になったというのではなく、応分の報酬が欲しかった(必要になった)のに得られなかったのが原因ですから、手を離すだけじゃ解決しない。
でも、本人は「フォークして別の人にさせろ」って言ってたので、手を離したわけでもありますよ。それでもがめつい利用者たちが無料でぶら下がり続けたのでガツンとやっちゃったわけで。
OSS界隈は、開発者のやりがい搾取から脱却する必要があるでしょう。
>そもそもOSS自体がソフトウェア業界で働く人たちの仕事・収入を奪ってきたわけで(結果得したのは営利企業)、OSS自体が廃止していくべきものです。
全部が、そういうわけでもないでしょう。OSSで仕事や収入を得ている人もいるし・・・。OSS開発者に利益還元している企業もありますし・・・。Win-Winの関係になっている領域もありますし・・・。そういう意味では、OSSはソフトウェア業界の一部ですよね。支援者の無いOSS開発は、廃止というよりも自然淘汰されますよね。そういう意味では、OSSへの支援体制の構築が必要とされているのでは?そもそも、文字(漢字、絵文字)コードにしたって企業毎に乱立していた時代を思い返すと、共通規格・共通部品の製造というような仕事にはOSSは適していると思います。
「地獄への道は善意でできている」という言葉もありますが、善意からはじめたことが、地獄への道になったということはその通りですね。1人の貧乏人は助けられても、100人の貧乏人を助けることはできないにも関わらず頼られるというね。(1回寄付をしたら、毎回寄付を求められるみたいな。)個人開発者が多くの利用者をサポートする形態の開発には無理があり、始める前から止めるべきという点では一致できます。そうかと言って、Rubyの様にイノベーションは個人開発者から始まるものもあるわけで・・・、廃止すべき支援すべきという単純な結論にはならないわけです。ひとつ言えることは、善意であっても人助けをすることや、人に助けてもらうというのは、いろいろ生憎な結末になるから、安易に助けたり・助けてもらったりは止めとけとは言えますね。
まあ、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」「警官憎けりゃ国家権力は悪」と同じで、OSS廃止論は暴論ですよ。アホな警官がいても、警察いなくなりゃ、魑魅魍魎跋扈する世の中になるのと同じこと。アホな開発者がいても、OSSなくなりゃ、互換性の無いデータフォーマットやらで、不毛な労働をする世の中になるだろう。冤罪被害同様、一部のOSS活動による弊害も受け入れるべきことです。(もっとも、当の被害者であれば一生涯、加害者を恨むのもそういうものと理解できます。)(誤解の無いように付け加えておきますと、活動中止は受忍限度内ですが、故意の破壊的変更は受忍限度外です。)
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私は悩みをリストアップし始めたが、そのあまりの長さにいやけがさし、何も考えないことにした。-- Robert C. Pike
ただ手を放せば良かったのに (スコア:0)
まあ色々な経緯や葛藤があっての所業だとは思いますが、
折角長年メンテナンスしてきたpackageと本人のキャリアを台無しにするよりは
「もう知らんわーメンテせんわー他探してね」で良かったのではないかと思えてならないです。
いずれにせよ長年使われ続けたpackageを作るような開発者が、他ならぬ自分の選択で今後のキャリアや
他のOSSにも多大な影響を与えてしまったのは残念です。
ご本人としての思いもあったのでしょうが、作為的にやったのなら広義にはテロと同じだと思います。
Re: (スコア:0)
そもそもOSS自体がソフトウェア業界で働く人たちの仕事・収入を奪ってきたわけで(結果得したのは営利企業)、OSS自体が廃止していくべきものです。
日本の接触確認アプリのように、開発者が開発することを嫌になったというのではなく、応分の報酬が欲しかった(必要になった)のに得られなかったのが原因ですから、手を離すだけじゃ解決しない。
でも、本人は「フォークして別の人にさせろ」って言ってたので、手を離したわけでもありますよ。
それでもがめつい利用者たちが無料でぶら下がり続けたのでガツンとやっちゃったわけで。
OSS界隈は、開発者のやりがい搾取から脱却する必要があるでしょう。
Re:ただ手を放せば良かったのに (スコア:0)
>そもそもOSS自体がソフトウェア業界で働く人たちの仕事・収入を奪ってきたわけで(結果得したのは営利企業)、OSS自体が廃止していくべきものです。
全部が、そういうわけでもないでしょう。OSSで仕事や収入を得ている人もいるし・・・。
OSS開発者に利益還元している企業もありますし・・・。
Win-Winの関係になっている領域もありますし・・・。
そういう意味では、OSSはソフトウェア業界の一部ですよね。
支援者の無いOSS開発は、廃止というよりも自然淘汰されますよね。そういう意味では、OSSへの支援体制の構築が必要とされているのでは?
そもそも、文字(漢字、絵文字)コードにしたって企業毎に乱立していた時代を思い返すと、共通規格・共通部品の製造というような仕事にはOSSは適していると思います。
「地獄への道は善意でできている」という言葉もありますが、善意からはじめたことが、地獄への道になったということはその通りですね。1人の貧乏人は助けられても、100人の貧乏人を助けることはできないにも関わらず頼られるというね。(1回寄付をしたら、毎回寄付を求められるみたいな。)
個人開発者が多くの利用者をサポートする形態の開発には無理があり、始める前から止めるべきという点では一致できます。そうかと言って、Rubyの様にイノベーションは個人開発者から始まるものもあるわけで・・・、廃止すべき支援すべきという単純な結論にはならないわけです。
ひとつ言えることは、善意であっても人助けをすることや、人に助けてもらうというのは、いろいろ生憎な結末になるから、安易に助けたり・助けてもらったりは止めとけとは言えますね。
まあ、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」「警官憎けりゃ国家権力は悪」と同じで、OSS廃止論は暴論ですよ。アホな警官がいても、警察いなくなりゃ、魑魅魍魎跋扈する世の中になるのと同じこと。アホな開発者がいても、OSSなくなりゃ、互換性の無いデータフォーマットやらで、不毛な労働をする世の中になるだろう。
冤罪被害同様、一部のOSS活動による弊害も受け入れるべきことです。(もっとも、当の被害者であれば一生涯、加害者を恨むのもそういうものと理解できます。)
(誤解の無いように付け加えておきますと、活動中止は受忍限度内ですが、故意の破壊的変更は受忍限度外です。)