アカウント名:
パスワード:
R6では色々政治的な(?)理由でR5の国際化機能が削られてしまい、 代りに貧弱な地域化機能が入ったわけですが、 現在のこうした涙ぐましい努力を見るにつけ、 車輪の再発明を強いられる事への口惜しさを感じます。
X11R5については当時早稲田大学の片岡氏による更なるm17n拡張も行われました。 実際、当時の早稲田大学ではdefaultの端末をktermでなくextermにしているユーザは多かったですし、 多言語混在のテキストを編
それは、フリー (自由) ソフトウェアでしょうか、あるいはオープンソースの定義 [opensource.jp]に合致するのでしょうか? System1 は、ウェブページ上のスクリーンショットを見る限りではすごそうですが、ダウンロードの項目がないですし。見た感じけっこうよさげなので、もしそれが本当に世界中のどの ftp サイトにも残ってないとすれば、それはどういうことでしょうか? もしかしてフリーじゃなくて配布が制限されていたからどこにも残ってないとか? (バイナリキットが、なんて
exterm は X11R5 の contrib に入ってたと記憶。 現在の Kterm と同程度の機能だったかと。 当時の Kterm は日本語用エンコードしか扱えなかった かと思います。
素のX11R5/contribのextermはそんなもんだったかな。
System-1は知らないけど、その前のもそっとオープンだった版試した時点では、 XLOCALE, Xlib以下にも手が入ってて、 extermのチューンだけでなく、他の多くのclientも国際化されてた。 動かないのもいくつかあったけど。
ソースもあった気がするが、 手が入りすぎてて常人にはmake World不可能とか言われた。
System1 が X11 から fork した時点で、あるいは、exterm が xterm から fork した時点で、fork しっぱなしだといずれ消えてしまう、とは思わなかったのかな。あるいは、当初は自分がずーっと (X.org や XFree86 のアクティビティに負けないくらい活発に) メンテしつづけるつもりだった (から fork しっぱなしでも十分に勢力を保ってられると思っていた) としても、もしかしたらメンテしつづけることができないと思った時点で、本家 X11 や xterm に統合しようとする努力がなされなかったのだろうか。
あるいは、System1 や exterm のユーザ層のなかから、本家への統合作業を買って出る人が出なかったのはなぜでしょう。ユーザ層が小さかったから? 常人には理解不能なソースだったから? アナタ作る人、ワタシ使う人、というような文化が蔓延していたから? 一子相伝の伽藍方式が信じられていたから? ぼくはその当時の事を知らないので、わかりません。
どちらにせよ、今となってはもう exterm が再びメジャーになる望みはないのではないでしょうか。本家への統合作業をしなければ、本家よりも高いアクティビティと知名度を維持できなければ負けるのは必然です。
過去を悔やんだり、過去の人を責めても得るものはないです。が、過去に学ばない人は同じ過ちを繰り返すかもしれません。
というわけで、過去を知る人に聞きたいのですが、なぜ System1 や exterm はすたれてしまったのでしょうか。
extermが何故消えたのかは分かりませんが、 System1に関して言えば、 むしろX Consortiumに統合されたくないという思いもあったのかも。
聞くところによると片岡氏は元々MITにいて、 Xを作ったプロジェクト(Athena Projectでしたっけ?)に所属しており、 多いに貢献していたとのことです。 誤解を恐れずに言えばacademismが髭を生やして歩いているような人だそうですが、 XがMITの手を離れ、X Consortiumがcommercialismに傾いていったことを嘆いておられたそうで、もしかすると反目もあったのかもしれません。
個人的には、何もX Window Systemが
片岡氏がどういう考えで System 1 を作られ, それが今どういう状態にあるのかも知りませんが. (元記事の方も伝聞と想像だけで, その辺りはご存じないようですし.)
理想の多言語システムを作ろうというのは 結構なことではありますが, そういうことを考えられる方はたいてい 言語処理の専門家で,世の中にそれ以外の人がいるということを 往々にしてお忘れのように思います. その他大勢の人に使ってもらえなければ, どんなすごいシステムを作っても虚しいだけですよ. 「実用的」という言葉にはそういう意味も含まれる と思うのですがね.
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
日々是ハック也 -- あるハードコアバイナリアン
車輪の再発明? (スコア:2, 興味深い)
R6では色々政治的な(?)理由でR5の国際化機能が削られてしまい、 代りに貧弱な地域化機能が入ったわけですが、 現在のこうした涙ぐましい努力を見るにつけ、 車輪の再発明を強いられる事への口惜しさを感じます。
X11R5については当時早稲田大学の片岡氏による更なるm17n拡張も行われました。 実際、当時の早稲田大学ではdefaultの端末をktermでなくextermにしているユーザは多かったですし、 多言語混在のテキストを編
Re:車輪の再発明? (スコア:1)
それは、フリー (自由) ソフトウェアでしょうか、あるいはオープンソースの定義 [opensource.jp]に合致するのでしょうか? System1 は、ウェブページ上のスクリーンショットを見る限りではすごそうですが、ダウンロードの項目がないですし。見た感じけっこうよさげなので、もしそれが本当に世界中のどの ftp サイトにも残ってないとすれば、それはどういうことでしょうか? もしかしてフリーじゃなくて配布が制限されていたからどこにも残ってないとか? (バイナリキットが、なんて
Re:車輪の再発明? (スコア:0)
exterm は X11R5 の contrib に入ってたと記憶。 現在の Kterm と同程度の機能だったかと。 当時の Kterm は日本語用エンコードしか扱えなかった かと思います。
Re: 文字の幅 (スコア:0)
素のX11R5/contribのextermはそんなもんだったかな。
System-1は知らないけど、その前のもそっとオープンだった版試した時点では、 XLOCALE, Xlib以下にも手が入ってて、 extermのチューンだけでなく、他の多くのclientも国際化されてた。 動かないのもいくつかあったけど。
ソースもあった気がするが、 手が入りすぎてて常人にはmake World不可能とか言われた。
fork (スコア:1)
System1 が X11 から fork した時点で、あるいは、exterm が xterm から fork した時点で、fork しっぱなしだといずれ消えてしまう、とは思わなかったのかな。あるいは、当初は自分がずーっと (X.org や XFree86 のアクティビティに負けないくらい活発に) メンテしつづけるつもりだった (から fork しっぱなしでも十分に勢力を保ってられると思っていた) としても、もしかしたらメンテしつづけることができないと思った時点で、本家 X11 や xterm に統合しようとする努力がなされなかったのだろうか。
あるいは、System1 や exterm のユーザ層のなかから、本家への統合作業を買って出る人が出なかったのはなぜでしょう。ユーザ層が小さかったから? 常人には理解不能なソースだったから? アナタ作る人、ワタシ使う人、というような文化が蔓延していたから? 一子相伝の伽藍方式が信じられていたから? ぼくはその当時の事を知らないので、わかりません。
どちらにせよ、今となってはもう exterm が再びメジャーになる望みはないのではないでしょうか。本家への統合作業をしなければ、本家よりも高いアクティビティと知名度を維持できなければ負けるのは必然です。
過去を悔やんだり、過去の人を責めても得るものはないです。が、過去に学ばない人は同じ過ちを繰り返すかもしれません。
というわけで、過去を知る人に聞きたいのですが、なぜ System1 や exterm はすたれてしまったのでしょうか。
Re:fork (スコア:0)
extermが何故消えたのかは分かりませんが、 System1に関して言えば、 むしろX Consortiumに統合されたくないという思いもあったのかも。
聞くところによると片岡氏は元々MITにいて、 Xを作ったプロジェクト(Athena Projectでしたっけ?)に所属しており、 多いに貢献していたとのことです。 誤解を恐れずに言えばacademismが髭を生やして歩いているような人だそうですが、 XがMITの手を離れ、X Consortiumがcommercialismに傾いていったことを嘆いておられたそうで、もしかすると反目もあったのかもしれません。
個人的には、何もX Window Systemが
Re:fork (スコア:1)
片岡氏がどういう考えで System 1 を作られ, それが今どういう状態にあるのかも知りませんが. (元記事の方も伝聞と想像だけで, その辺りはご存じないようですし.)
理想の多言語システムを作ろうというのは 結構なことではありますが, そういうことを考えられる方はたいてい 言語処理の専門家で,世の中にそれ以外の人がいるということを 往々にしてお忘れのように思います. その他大勢の人に使ってもらえなければ, どんなすごいシステムを作っても虚しいだけですよ. 「実用的」という言葉にはそういう意味も含まれる と思うのですがね.