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コミュニティ(しかもローカルの、かつ特定一部の)がヤバイからって、勧めるのをやめる範囲が「UNIX 系 OS やオープンソース」という広すぎる取り方になってるのは、変じゃないですか?
前者をゴールとするなら、users-jpはとても不親切で役に立たない場所ですが酷い目にあった人を見て、自分はそうならないようにと事前に色々調べたり適切にログ等の情報を整理したりすれば、自己解決が出来たり勉強になったり。解決しなかった場合も、それらを経た上で投稿すれば、別に酷い目には遭いません。
生贄の人たちを黙って見るのが忍びなかったことと、自分の友人知人にそれらを説明して users-jp 流儀を叩き込む気になれませんでした。そういう感情面を完全に無視するならば、users-jp は流量が多すぎるものの ROM ってるだけでも十分得られるものはありました
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アレゲは一日にしてならず -- アレゲ見習い
コミュニティ戦略の失敗 (スコア:2, 興味深い)
すそ野を広げるとコミュニティの維持コストは増えてしまうから、ああいう戦略に出ざるを得なかったのも理解はできるんですけどね。オープンソースコミュニティ全体でもそうだけど、ユーザーのすそ野の広がりと正常に維持できる
Re: (スコア:1, 興味深い)
>周りに UNIX 系 OS やオープンソースを勧めるのをやめてしまいました。
コミュニティ(しかもローカルの、かつ特定一部の)がヤバイからって、
勧めるのをやめる範囲が「UNIX 系 OS やオープンソース」
という広すぎる取り方になってるのは、
変じゃないですか?
「本家の情報で事足りる」ってコメントがありましたが、
ということは逆にいえば、
本家のコミュニティはどうやって維持(バランス)されてるのかを
学ぶことは無益では無さそうです。
あなたにヤレと言っているわけではないですが。
Re:コミュニティ戦略の失敗 (スコア:2)
既にある情報を得るというだけで言えば、FreeBSD の場合は jp.freebsd.org の文章を一通り読めば、かなりの情報が網羅できるという点は良かったです。これに Linux の JF とかも読んでおけばかなりのことがわかったので、FreeBSD ユーザーには、FreeBSD-users-jp はお勧めしないが、jp.freebsd.org の文章はいいよというスタンスでした。ただ、質問の類をするのに便利な受け皿を当時は思いつきませんでした。少し後になって 2ch というとても便利で強大なサイトに出会ったわけですが。
他のコミュニティはどうかと言うと、Linux 系の当時の戦略であるタコウェルカムは、FreeBSD-users-jp とは逆の方向での馴れ合いというか、逆の理由からの高慢さが出る事も多かったし、何よりS/N 比の増大に一役買って、人に優しい?コミュニティは結局ログが膨大になってしまうという問題点がありました。人に優しくないところのある FreeBSD-users-jp も大概の投稿数だったわけですが。
人間の集まりなんだから、そのコミュニティ独自の空気になじめるかどうか次第です。俺は FreeBSD-users-jp と幾つかの Linux 系 ML を読んで、それぞれのコミュニティの持つ毒気に当てられて疲れてしまったというところでしょうか。コミュニティに参加するなら、自分で読んで空気についていけるかどうか、勝手に選んでくれという気持ちになってしまったのです。
今考えるとコミュニティがもうちょっとうまく階層になっていればよかったのかもしれません。大きなコミュニティから小さなコミュニティまでどこかを探せば、それぞれ各人に合った受け皿がどこかにあって、ユーザーグループ側も積極的にその受け皿への割り振りが出来るようなやり方でしょうか。例えば地域ユーザーグループというのは大きなコミュニティを補ういい方法のはずなんですが、結局のところ FreeBSD 友の会の声の大きい人らの宴会場だったので、地域コミュニティも FreeBSD-users-jp と全く変わらないコミュニティで、地域コミュニティになじめる人は、FreeBSD-users-jp にもなじめるだろうから、あまり差がなかったです。
Re: (スコア:0)
「投稿者が抱えている問題(らしきもの)を解決するためにある」のか、それとも
「投稿者をBSDユーザとして育てるためにある」のか。
前者をゴールとするなら、users-jpはとても不親切で役に立たない場所ですが
酷い目にあった人を見て、自分はそうならないようにと事前に色々調べたり
適切にログ等の情報を整理したりすれば、自己解決が出来たり勉強になったり。
解決しなかった場合も、それらを経た上で投稿すれば、別に酷い目には遭いません。
ただ、失敗(あるいは予定通りの終末)なのは、到達点は(恐らく)BSDユーザを育てるという事であり。
友の会コミュニティを支える人材を育てる事ではなかったのです。
十分に育ってしまったBSDユーザはそれぞれに旅立ち、友の会には残りませんでした。
今でもFreeBSDは業務プライベートともに使い続けていますが、本家だけで十分です。
Re: (スコア:0)
to #1321970
生贄の人たちを黙って見るのが忍びなかったことと、自分の友人知人にそれらを説明して users-jp 流儀を叩き込む気になれませんでした。そういう感情面を完全に無視するならば、users-jp は流量が多すぎるものの ROM ってるだけでも十分得られるものはありました
Re: (スコア:0)
> FreeBSD 友の会の声の大きい人らの宴会場だったので、地域コミュニティも FreeBSD-users-jp と全く変
> わらないコミュニティで、地域コミュニティになじめる人は、FreeBSD-users-jp にもなじめるだろうから、
> あまり差がなかったです。
ある意味当然の結果だと思うけどな。
友の会のように日本全国を対象にしたものだろうと地域コミュニティだろうと、既存のものは既にいろいろ活動
している人が中心になっているのが当然でしょ。そういう人々が嫌なのであれば、同じ気持ちの人を集めて既存
の人々がいない場を自分たちで作らないとね。それこそslashdotで同好の士を集めてオフ会でもすればいいじゃ
ない。