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2022年1月 記事 / 日記 / コメント / タレコミ
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2022年1月22日のオープンソースタレコミ一覧(全13件)
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Google

無料のG Suite終了でGoogleがクラスアクションを起こされる可能性

タレコミ by Anonymous Coward
あるAnonymous Coward 曰く、
無料のG Suite終了によって、このアカウントを通じて購入したコンテンツやサービスを、通常のGoogleアカウントに移行いるなどの救済措置が無い。このためユーザーは有料のG Suiteアカウントを購読するか、購入したものを諦めるかの選択を迫られている。今の所、法的訴えは出されていないが、弁護士たちがクラスアクションを起こすにあたっての情報収集をしているという。

情報元へのリンク
15547810 submission
アメリカ合衆国

WhatsApp、米政府の命令で中国とマカオのユーザーを追跡していた

タレコミ by headless
headless 曰く、
WhatsApp が米政府に命じられ、中国とマカオのユーザー計 7 人を追跡していたと Forbes が報じている (Forbes の記事South China Morning Post の記事)。

ユーザー追跡の根拠となる法律 1986 Pen Register Act によれば、捜査当局は特定のユーザーについて発信先の記録 (pen register) や着信元の記録 (trap and trace device) を通信会社に命じることができる。記録するのは相手の電話番号や位置情報などに限られ、通信内容は含まれない。追跡するユーザーを識別可能な電話番号などがわかればよく、そのユーザーが誰なのか具体的にわかっている必要もない。今回の 7 人も電話番号のみで追跡が行われた。

今回の追跡は麻薬取締役局 (DEA) が命じたもので、公表された電話番号から違法薬物の取引に関連するものとみられる。ただし、命令に必要なのは申請書を作成した検事または捜査当局担当者の名前と捜査当局の名前、追跡により得られる情報が当局により捜査中の事件に関連するとの証明書のみであり、追跡を行うための相当な理由を判事にも市民にも説明する必要はないとのこと。

Forbes によれば、米捜査当局は過去 2 年間 WhatsApp にユーザー追跡を繰り返し命じているそうだ。今回の件は米当局が国内および隣国のユーザーだけでなく、全世界に追跡対象を広げていることを示すものだという。追跡は合法的なものであるとしても、相当な理由が説明されない点が懸念される。しかし、全米市民自由連合 (ACLU) などによる長年の働きかけにも関わらず議会で問題解決に向けた動きはないとのことだ。
15547818 submission
Google

Google、従来の無償版 G Suite 提供終了へ

タレコミ by headless
headless 曰く、
Google が従来の無償版 G Suite を今度は本当に提供終了するようだ (Google Workplace 管理者ヘルプ9to5Google の記事The Verge の記事Ars Technica の記事)。

現在は Google Apps と呼ばれる G Suite は 16 年前に組織向けの無償提供が始まった。2012 年には企業向けの Google Apps 無償版提供終了が発表されたが、既存の無償版ユーザーは引き続き利用できていた。しかし、従来の無償版 G Suite は 7 月 1 日以降利用できなくなり、以降は有料の Google Workspace サブスクリプションにアップグレードする必要があるという。

ユーザーは 5 月 1 日まで Google Workspace サブスクリプションのプランを選択してアップグレードでき、以降は従来の無償版 G Suite の利用状況に応じたプランに自動でアップグレードされる。いずれの場合も 7 月 1 日までは無償でサブスクリプションを利用できるが、7 月 1 日までに支払い方法を入力しなければサブスクリプションが一時停止となる。そのまま 60 日が経過すると Google Workspace のコアサービスが利用できなくなり、アカウントを復元するには有効な支払い方法を入力する必要があるとのことだ。
15547822 submission
ソフトウェア

米イリノイ州、アプリストアによる特定の支払い方法強制を禁ずる法案

タレコミ by headless
headless 曰く、
米イリノイ州でアプリケーション配布プラットフォーム (アプリストア) が州内のアプリ開発者やユーザーに特定の支払い方法を使用するよう強制することを禁ずる法案が提出されている (WGEM の記事9to5Mac の記事Mac Rumors の記事)。

法案で対象となるのは州内のユーザーによる前年または当年のダウンロードが 100 万回を超えるプラットフォームで、州内に住むアプリ開発者やユーザーに特定の支払い方法使用を強制しないこと、州内に住むアプリ開発者やユーザー他社のプラットフォームや支払い方法を使用した場合に報復しないことを求める内容だ。州内には「HEY Email」のサブスクリプション問題で注目を集めた Basecamp が所在しており、CTO のデビッド・ハイネマイヤー-ハンソン氏は法案の強い支持者の一人だという。

同様の法案はフロリダ州やニューヨーク州、ノースダコタ州、アリゾナ州などでも提案されているが、Apple と Google の強いロビー活動の結果、上院・下院ともに 85 % を占める共和党議員が法案を提出したノースダコタでもあっさり否決されるなど現在まで成立したものはない。アリゾナ州の法案は下院で可決されたものの、AppleとGoogleが町中のロビイストをほぼ全員雇って上院で否決させたとのことだ。
15547858 submission
交通

京浜急行電鉄、最後のフラップ式列車発車案内表示装置をカラーLED式に交換

タレコミ by Anonymous Coward
あるAnonymous Coward 曰く、
朝日新聞の記事によると、京浜急行電鉄は、京急川崎駅のホームに設置してある、パネルが回転して列車案内をする表示器、通称「パタパタ」を2月中旬頃までにカラーLED表示の機械へ置き換えるそうだ(報道発表)。

「パタパタ」は、正式には「フラップ式列車発車案内表示装置」と呼ばれるそうで、京急では約35年前に同駅に設置し、2代目となった後、京急線全体でも最後となる5台が稼働しているそうだ。

京急では、フラップ式の廃止に合わせ、ナイトツアー等、様々な企画を準備しているようだ。

「パタパタ」は鉄道各社で使われており、懐かしさや旅情を誘われる方もいるだろう。首都圏ではほぼ姿を消すと思われるが、地方にはまだあるだろう。皆様の地元や実家、旅行先で残っているところはあるだろうか。「パタパタ」以外にも、かつては駅にあったものの姿を消したもの多いが、どのようなものが懐かしいだろうか。
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おもちゃ

スマホゲーム『カイジ -闇の黙示録-』リリース後に次々と見つかる致命的バグやコードの丸パクリが話題に

タレコミ by Anonymous Coward
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政治

【生活安全条例】ひろがる監視社会 ――「安全・安心まちづくり」とは何か

タレコミ by Anonymous Coward
あるAnonymous Coward 曰く、
キーワード:生活安全条例、公明党、創価学会、生活安全警察、やりすぎ防犯パトロール、集団ストーカー

http://comcom.jca.apc.org/heikenkon/20th/simizu/simizu_1.html
ひろがる監視社会
――「安全・安心まちづくり」とは何か

第5回集会 2005年10月15日
清水 雅彦(明治大学講師・憲法学)

目次
●高速通行券に車のナンバーが
●不倫現場もおさえるNシステム
●警察の手先が増えている
●警察中心のネットワーク
●「寛容ゼロ」の社会
●半分以上の自治体に「生活安全条例」
●「不可視のまなざし」の効果
●警察化した民衆は暴走する
●「国家による自由」?
●「治安回復」に向けて

憲法が専攻です。この間、「生活安全条例」とか「安全・安心まちづくり」についての取り組みをずっとしてきました。バイクが好きで、今年は名古屋、宇都宮の講演もバイクで行って、講演してきました。夏に山口であった学会の合宿にもバイクで行きました。なんでバイクで遠出をするのかというのは、今日の監視社会論とも関連してくるわけですけれども、これは後で話します。
最近、よくマスコミ等で「治安の悪化」、具体的には犯罪認知件数の増加と検挙率の低下ですけれども、あるいはこれを受けて「体感治安の悪化」という言い方がされます。こういう状況に対して、「安全・安心まちづくり」で対応しようと、政府とか警察が取り組みを始めていますが、それが監視社会化を招く、プライバシー権その他の権利・自由を侵害するということで、ようやく最近、監視社会論に対する批判的な文献も出はじめています。
それは例えば、ウルリヒ・ベックの『危険社会』とか、岩波の『世界』での特集「犯罪不安社会ニッポン」、前回話された五十嵐太郎さんの『過防備都市』、斎藤貴男さんの『安心のファシズム』など。こういう形で、徐々に危険性を指摘する本が出ているという状況です。
ここでは、とくに「安全・安心まちづくり」という治安政策について焦点をしぼりつつ、実はそれが監視社会だけではなくて、もっと幅広く、公権力がいろんな領域で社会に及んでこようとしている危険について話をしたいと思います。

高速通行券に車のナンバーが

 従来「監視社会化」とか「管理社会化」と言われている状況で進んできたものは何か。ここではとりあえず、個人情報関係、個人情報・肖像関係、通信関係の3つに分けて説明します。
個人情報関係では、私人によるものとしてはJR東日本のSuicaや、スーパー等のポイントカードの問題があります。これはもちろんいろんなサービスをすることで顧客を維持したいということもありますが、個人情報がどういう形で使われているか定かでない。確かに個人情報保護法ができましたけれども、当然、情報漏れということはあるわけです。とくにクレジットカードは、買い物をするたびにいろんな情報が蓄積されて、それに応じたダイレクトメールを出したり、関連企業に情報を流すと言われています。
私はクレジットカードでの買い物はしないし、スーパーでもポイントカードを作らない、Suicaも使ってません。本当にこれは不愉快で、近所のスーパーで買い物をする時でも必ずレジで「○○カードは持ってますか」と言われる。「あなたたちに個人情報を与える気はありません」と言いたくなります。主婦の方をはじめたくさんカードを持っている方がいらっしゃいますけれども、やはり自ら個人情報を渡しているということの認識を持たなければいけないと思います。

公的機関によるものであれば、民営化されましたけれども元日本道路公団・現各高速道路株式会社の高速通行券ですね。首都高ではなくて東名とか中央などの高速を使うときに、入口で通行券が出てきますけれども、その右上の数字をよく見てほしいんです。私が車で高速を利用すると、常に数字が「90」です。なぜ90かというと、私の乗っている車のナンバーが**-90だからです。高速の入口の右側にボックスがあって、夜だと赤外線ストロボが光るから分かりますけれども、車が近づいてくるとナンバーを撮影します。それを瞬時に通行券に印字をしている。印字されるのは下2桁ですけれども、実際に記録されているのはナンバーのフル情報です。すなわち、どのナンバーの車がいつ移動したかということが分かる仕組みになっている。なんでこんなことを道路公団が始めたかというと、通行権と車が一致しているかどうかを確認する。昔はサービスエリアなんかで通行権を交換して高速料金をごまかす不正使用があったんで、その対策だと言っています。しかし、ある車がいつどこへ行ったかという情報が蓄積されて、それが漏洩とか目的外使用されれば、個人の監視につながります。

実際にオウム真理教の事件以降、警察の要求に基づいて、任意で道路公団がオウム幹部の車の情報を提供していた。ですから公安警察が要求して各高速道路株式会社とグルになれば、政党とか政治団体の幹部等の動きを調べることができる。しかしこれを運転手にはきちんと説明していない。
あるいは公権力によるものであれば、国民総背番号制の問題があります。これは詳しく説明する必要はないと思います。私は2002年8月に市役所から番号が来ましたけれども、さっそく市役所に出向いて、「私は牛ではありませんから番号はいりません」と返してきました。国は番号で個人を管理することを始めました。

不倫現場もおさえるNシステム

 個人情報・肖像関係では、私人によるものでは、金融機関やマンション、駅などで早いところでは70年代に防犯カメラを設置する動きがありました。
公権力によるものであれば、Nシステムというものが全国各地で80年代末から取り付けられています。道路沿いに鉄のアームがあって、カメラが付いている。これは高速道路でも、国道・県道・市道でも、あちこちに付いてまして、夜走ると分かると思いますけれども、車が近づいて来ると自動的に赤外線ストロボがピカッと光って撮影をしている。これは警察が設置して車のナンバーを撮影していているわけですけれども、目的は盗難車の発見のためとされています。あらかじめナンバー情報をホストコンピューターにインプットしておけば、Nシステムにさしかかった車が盗難車両であればヒットして、最寄りの警察署に連絡が行って検挙できるというものです。
しかし、95年のオウム事件以降とくにNシステム設置が急増しまして、いま全国にだいたい870箇所くらい。そして以前はナンバーしか撮影していなかったんですけれども、第3世代以降の新しい世代のシステムは、運転手と助手席に乗っている人間も写すんです。警察はこういうことをやっている、写真を撮影していることを公然と説明すべきなのに、説明しない。
自動速度取締機、オービスの場合は違反したときの証拠写真として撮りますから、これはまだ写真撮影についての合法制というか、そういう場合の肖像権が制約されてもやむを得ないところがありますけれども、Nシステムは違反していなくてもそこを通る車両前部にナンバーが付いているすべての車両を撮影する。何も違反していないのに、勝手に写真を撮られてしまうということは、やはり肖像権とかプライバシー権侵害になります。
もし皆さんが公安なんかにチェックされている人であれば、そして不倫でドライブなどしていれば、ただちに不倫現場を押さえることができるわけです。実際に管直人氏の愛人問題はNシステムの情報をリークしたと言われています。恐らく盗難車両の取締以外に、公安警察が利用していると思われます。新潟県警では、部下がきちんと仕事をしているかどうか、警察車両についてチェックしていたということもありました。

肖像権侵害、プライバシー権侵害になり得るのに、勝手に撮影をしている。実際に弁護士がNシステム違憲訴訟をやったんですけれども、裁判所は保守的なので合憲判決だったのですね。もっとこれは国民に伝えて、声を上げていかなければいけないと思います。ちなみに私はNシステムが近づいてくるとサンバイザーを降ろします。あまり効果はないと思いますけれども、勝手に撮られるのは不愉快です。
またスーパー防犯灯と街頭防犯カメラシステムは、後で触れる「安全・安心まちづくり」の中で出てきたものですけれども、ここで取り上げてみます。
スーパー防犯灯というのはカメラ付き防犯灯のことで、なにか事件があった時に防犯灯のボタンを押せば警察署に連絡が行って、モニターテレビを通じて警察官とやりとりができる、その近辺の状況を防犯灯に付いているカメラが写すというものです。2001年以降付けられて、2003年末までに20地区240基が設置されています。
街頭防犯カメラシステムは、東京・新宿の歌舞伎町で2002年に設置して、あと渋谷、池袋など設置箇所が増えた。警察としてはスーパー防犯灯や街頭防犯カメラシステムを少しずつ増やそうと考えています。
この中で怖いのは、バイオメトリクス技術の導入問題です。バイオメトリクスというのは日本語にすると「生体認証」といいますけれども、古くからある生体認証手段は指紋ですね。最近ではATMの問題等ニュースで報道されているように、指紋以外に静脈の形とか、出入り口で瞳の虹彩に光を当てて識別をするという、体の形状によって個人を識別するという技術です。
実はその中でも、顔を点数化して顔だけで個人を識別する技術がありまして、関空とか成田空港に設置されているカメラはこれを使っています。テロリスト等の情報を入手して入れておけば、その人が通るとヒットして入国したことが分かる。そういう技術を持ったカメラを導入しています。
アメリカではさらに研究が進んでいて、最近では人の歩き方も点数化できる。人の歩き方にも個性があって、顔が映っていなくても歩き方で個人識別をする。そういう技術も開発されて、一部で導入されています。ですからこういうバイオメトリクスの技術を組み合わせていけば、個人が移動するたびに警察等によって、いつ誰がどこを移動していたか分かってしまう。

高速のETCもいつ、誰が、どこからどこまで利用したかが分かるので、私は絶対にETCなんか使いたくない。今まではハイウェイカードを使っていたんですが、9月でカードの販売をやめて、来年4月から使えなくなる。ETCを使わせようという魂胆ですね。しかしETCは把握されてしまうので、私は使わないつもりです。
あと怖いのは、パスポートをIC化していく。免許証もIC化していく。そのときにバイオメトリクスの技術を結び付ければ、すなわちパスポートや免許証の申請にあたって写真を提供するわけですから、例えば免許証をNシステムの技術と結びつければ、車両だけで報告されていたものが運転手についても報告されることになりかねない。まあ、どこまで技術が進歩してやれるかは別ですけれども、そういう方向にいま向かいつつあるという状況にあります。
さっきのバイクの話でいうと、私が遠出でよくバイクを利用するのは、Nシステムによっても、高速道路株式会社によっても、私を捕捉できないからです。Nシステムも高速道路のカメラも、前にナンバーが付いている車両しか撮影できないので、後ろにナンバーが付いているバイクは撮影できない。したがっていまバイクで道路を移動するとき、私は公権力によっては捕捉されないんです。ただ、いずれは後ろのナンバーを撮影する機械も出てくるだろうから、困ったな、という状況なんですけれども。
あと免許証をIC化してETCの技術がもっと進めば、スピード違反をするたびにカードから自動的にお金が引かれる。たぶんこれは反発されるからできないと思いますけれども、技術が進歩すればそれもできるといえばできますし、そういう意味で、非常にこの先、怖いなというふうに思います。
通信の関係で言うと、1986年には共産党幹部宅盗聴事件があり、1999年には盗聴法の制定がありました。

警察の手先が増えている

「安全・安心」というテーマを掲げてどういう取り組みが行われているか。
実は警察庁が「安全・安心」を早くから研究していましたけれども、中央政治レベルで「安全・安心」を言い始めたのはつい最近なんですね。2003年の9月に犯罪対策閣僚会議を設置したり、あるいは第157回国会の所信表明演説で小泉首相が触れている。「国民の安全と安心の確保は、政府の基本的な責務です。『世界一安全な国、日本』の復活を実現します。警察官を増員し、全国で『空き交番ゼロ』を目指します。市民と地域が一体となった、地域社会の安全を守る取り組みを進めます……」という形で、所信表明で初めてこういうことをテーマとして掲げるわけですね。
地域社会での安全の取り組みは別名で言いますと「地域安全活動」の考え方ですけれども、これについて小泉首相が触れた。そして11月にはマニフェスト選挙で自民党も民主党も治安対策を掲げている。そういう中で犯罪対策閣僚会議が具体的な対策を策定する。こういう流れによって、ますます治安対策というものが展開されていくわけです。
具体的に地域でどういう取り組みが行われてきているのかですけれども、まず「自主防犯活動」の組織という問題です。昨年の「警察白書」は特集に「地域社会との連帯」というテーマを掲げていました。この中で何を言っているかというと、「治安悪化の一因に規範意識の低下や住民相互の人間関係の希薄化があり、これらをいかにして改善するかが治安回復の鍵である」「治安の回復には、警察のパトロールや犯罪の取締りだけではなく、警察と関係機関、地域住民が連携した社会全体での取組が必要である」。これがさきほど言った「地域安全活動」の考え方です。
そして次に続くのは、「犯罪の生じにくい社会環境の整備と、国民が自らの安全を確保するための活動の支援を進めるべき」。ここで言う「犯罪の生じにくい社会環境の整備」というのが、「犯罪防止に配慮した環境設計活動」という考え方です。これは「ハード面とソフト面」と言いますけれども、警察白書でこの2つについて言及しているわけですね。

こういうものが、「希薄化した地域社会の連帯の再生」につながると言っていますけれども、防犯活動を通じて規範意識ができる、地域社会の連帯が高まる。本来は警察が取り組むべき問題じゃないんですけれども、警察がこういうことについても口出しをし始めているという状況があるわけです。
では、具体的にはどういう取り組みがあるのか。一般的には自治会・町内会を活用したパトロール隊です。最近では京都の「平安レディース」など女性の活用や、「ポラリス宮城」というのは大学生を少年非行対策でパトロールさせるものがあります。ポラリスという名前は、発案した人が「冬のソナタ」のファンで、ポラリス=北極星がいいというので付けた名前らしいんですけれども。すなわち警察の手先を増やすと同時に、それにかかわる大学生の規範意識を高めるという、2つのメリットがあるわけです。
警察は発想豊かだなと感心するんですけれども、バレーをやっている人たちからなる「クライムアタック隊」、クライムは犯罪ですね。あと愛犬家の「わんわんパトロール」、自転車通学の女子学生などを使った「りんりんパトロール」等ですね。

練馬署で始めたのは「10万人の目警戒活動」というんですけれども、町会役員や防犯活動推進員を「街かど安全サポーター」というものに任命して、この人たちが「午前・午後の犯罪多発時間帯の2回、適宜の時間に10分ほど自宅前や付近で、体操・樹木の手入れ・掃除・散歩等を兼ねた路地の警戒や、『おはようございます』などのあいさつ、『どこかお探しですか』等の声かけ、不審者発見時の110番通報を働きかけ、常に街角に住民が出ていること」で犯罪の抑止を図ろうというものです。いつ、誰が家の前で体操しようと掃除しようと散歩しようと自由なはずなんですけれども、練馬では警察主導で、いつ散歩とか掃除をしてください、その時に同時に不審者の監視もしてくださいということをやっているわけですね。こういうことを大々的にやって反発されないのが不思議なんですけれども。
あいさつはけっこう大事です。群馬県の「生活安全条例」には、「あいさつの励行等を通じて良好な地域社会の形成に努める」と書いているのですね。あいさつをすることによって地域社会を作る。
そういう発想は例えばあの有名な、千代田区の「路上禁煙条例」にもあります。マスコミは「路上禁煙条例」と呼びますけれども、それは間違いであって、あれは「生活安全条例」です。なぜ「路上禁煙条例」と言ってはいけないかというと、条例で取り締まっているのは路上喫煙だけじゃなくて、ゴミのポイ捨てや置き看板等の放置、チラシ等の散乱、落書き、犬猫の糞等の放置と、かなり広範にあるわけです。マスコミは問題意識がないから「路上禁煙条例」と呼ぶわけですけれども。

その「生活安全条例」に前文が付いていますけれども、「生活環境の悪化は、そこに住み、働き、集う人々の日常生活を荒廃させ、ひいては犯罪の多発、地域社会の衰退といった深刻な事態にまでつながりかねない。今こそ千代田区に関わるすべての人々が総力を挙げて、安全で快適な都市環境づくりに取り組むときであり、区民や事業者等すべての人々の主体的かつ具体的な行動を通じて、安全で快適なモデル都市をつくっていこう」と。生活環境の悪化が地域社会の衰退になると。風が吹けば桶屋が儲かる式のことを平気で書いていますけれども、これに対する批判もあまり聞かれない。そういう性格のものがあちこちの「生活安全条例」にあります。
そしてその防犯パトロールの行き着く先は民間交番です。初めて設置したのは世田谷区の商店街の人たちです。以前から商店街の人たちがパトロール活動に参加していたんですけれども、警察に明大前の駅前に交番を作ってくれと要求したところ、距離制限があるので作れないと。そこで、じゃあ自分たちで、ということで世田谷区から土地を提供してもらって、プレハブ代150万の提供を受けて、駅前に民間交番を作った。そして商店街の人たちが、時には柔道とか合気道をやっている若者を誘ってパトロール活動をやっている。実際には地元の警察署が指導しています。
そういう民間交番が、いま各地でできつつある。民間人が警察官みたいな活動をしているわけです。
こういう中で防犯ボランティア団体というものが、2003年末3,056団体177,831人から2004年末には8,079団体521,749人へと、1年間でこれだけ増えているんですね。実際に防犯活動をしているのは地域の主婦の方とか、あとシルバー世代で、そろいのジャケットを着て地域を歩いてますけれども、実際に犯罪者に対しては何も役に立たない、正義感を持って対処したら危ないんですけれども。これから怖いなと思うのは、団塊の世代が一斉に退職して、その人たちが持て余した時間を何に使うか。間違ってもこういう活動を一生懸命やってほしくないですね。

http://comcom.jca.apc.org/heikenkon/20th/simizu/simizu_2.html
警察中心のネットワーク

        講演中 次に警察と各種事業者・法人などとの「ネットワーク」作りの問題です。都道府県警や警察が管轄地域内の警備会社等と協定とか覚書を結んで、何をするかというと、双方による事件・事故・「不審者」等の情報提供・通報体制を作る。例えば警備会社等が業務中、なにか事件・事故を発見したり、さらに「不審者」を発見した場合には警察に通報する。こういう協定を結んでいるわけです。
ですから、いまや新聞配達員にしろ郵便局職員にしろ、警察官の手先として活動しているという側面があって、例えばコンビニが第二の交番になったり、配達員が第二の二輪警邏隊になったり、タクシーが第二のパトカーになったりするという状況になっています。最近ではヤクルトレディなんかも警察と協定を結びつつあって、私はこういう研究をしてますから、ヤクルトレディを見ると「あんたも警察の手先か」というふうに見てしまうんですけれども。あちこちこういう取り組みが進んでいるわけです。
こういう人たちは、「不審者」に対しては「見知らぬ人への声かけ」をします。例えばつくば中央署・北署では郵便配達員と消防団員を「犯罪通報110番人」に任命しまして、その人たちは名刺を持っていて、「不審者」がいたら名刺を渡したり声をかけるんですね。私はドライブとかツーリングが好きですから、どこか地方に行って、ここは何もなくて気持ちがいいなとたたずんでいると、「あなた誰ですか」と声をかけられて、きちんと対応しなかったら110番通報される。安心してあちこち旅行ができなくなるかもしれない。そういうことです。
警察と教育機関の連携では、幼稚園児に対しては「ちびっこ警察隊」や「チビッコ警察官」、幼稚園児に制服を着させてパトロールやチラシ配りをさせる。これ自体は直接の犯罪解決法じゃないんですけれども、例えば秋田臨港署では幼稚園児が「夜遊びはすべての非行の元」というチラシを少年に配っているんですね。夜遊びがすべての非行の元とは、まったく科学的ではないんですけれども。
あるいは小中高校には「スクールサポーター」、とくに警視庁では2004年4月から警察官OBが派遣されています。警察官が非行対策にかかわる。また、学校と警察が児童・生徒の非行情報を提供しあう「相互連絡制度」を、各都道府県や市町村単位で導入してもらう。2005年1月までに20都道県で導入されています。例えば千葉では今年の8月に、千葉県内のすべての学校、国公立・私立の大学から小中高すべて、1504校で協定が結ばれたんですね。さすが管理教育が進んでいる千葉ですけれども。こういう県も出てきました。
これは、反対すればけっこう防げるんです。横浜市の中田市長はこういうのが大好きだから率先して警察と協定を結んだんですけれども、川崎市の教育委員会は拒否して結んでいません。そしてこの間議論になったのは、神奈川県が県警と結ぶかどうかですけれども、これは県内の共産党や生活者ネット、神奈川新聞社、弁護士が反対の声を上げて、まだ結べていません。いま警察から学校にだけ連絡をする制度を導入するかどうかで検討しているんですけれども、中田と同様に青少年の健全育成の大好きな松沢知事が、相互連絡制度は必要だとして、審議会に対してもう1回検討し直せと言っているので、今後を注目しているところです。
あるいは大学との関係でいうと、県警本部長が講義をする場合がある。高岡法科大と山梨学院大については把握しているんですけれども、法学部で講義をしています。

警察と家庭との連携では、例えば宮城県警で小中学生対象の「防犯マン推奨運動」という取り組みがあります。各職場や各家庭に一人、防犯マンを任命して、防犯マンが戸締まりとか施錠、地域との連携、いろんな防犯等の行事参加をする。そしてとくに家庭については、宮城県警の方針として、「『自らの安全は自らが守る』という自主防犯意識や規範意識の高揚を呼びかけることが重要と考え、家庭や職場で防犯活動の中心的人物を定めるよう呼びかける『防犯マン推奨運動』を展開する。……特に、防犯意識や規範意識は、小・中学生といった少年期に身に付けさせることが重要であり、その貴重な思想が後世に受け継がれるようにとの考えから、家庭では、小・中学生を選ぶように呼びかけている」。すなわち子供を防犯マンに任命して、少年非行を防ぐと同時に、子供が大人を監視する。なんか文革のころの中国みたいですけれども、そういうことを宮城では始めているわけですね。
あと警察とメディアとの連携では、例えば私が住んでいる神奈川では、神奈川新聞が2ページを県警に提供するような形で、防犯、あるいは「安全・安心まちづくり」についての企画をやっています。県警本部長やガーディアン・エンジェルスなんかが登場して、内容はもうまったく警察の言っていることに批判的なものはないですけれども。あるいはテレビ愛知では2004年度に4回、愛知県警が54分の番組を作りまして放送しています。柳沢慎吾や出川哲朗などを使って警察署インタビューをやったり、防犯が大事だという番組です。
警察と自治体との連携では、とくに「生活安全条例」の制定に向けて、都道府県警から自治体へ警察官が出向している事例があります。千代田区の「生活安全条例」は、区内の4地域の防犯協会の会長や会長代理が「安全条例」を作る陳情をして、それを受けて制定にとりかかったものです。制定前に警視庁から生活安全部の警察官を千代田区の担当部局に出向させて、警察官が条例作りにかかわった。ですから警察主導で作っているのに、マスコミはそういうことを批判しないで、条例ができたことしか報道しない。
あるいは神奈川県では昨年の12月に、県の「生活安全条例」が制定されたんですけれども、まず「安全・安心まちづくり推進課」という部局を設置して、常勤職員47人のうち5人は県警からの出向者で、課長も県警からの出向者。すなわち県警の警察官が主導して作った。こういうふうに自治体が警察に乗っ取られるようなことになっているのに、批判的な報道は見られないですね。
あと似たような問題としては、竹花豊を東京都の治安担当副知事にするような、これは神奈川でも同様なことをやりましたけれども、こういうこともあります。

「寛容ゼロ」の社会

        ハード面ですが、もう一つが「地域安全活動」というソフト面です。
ハード面の方で参考にしているのは、アメリカの「環境設計による犯罪予防」とイギリスの「状況的犯罪防止手法」という考え方です。どういう内容かというと、監視性(監視を強める)、領域性(犯罪の及ばない範囲をきちんと確立する)、接近の制御(犯罪者が接近しないようにする)、被害対象の強化・回避(防犯対策を強めていく)、をキーワードとするものです。具体的には、道路、公園、駐車・駐輪場、公衆便所、共同住宅等で見通しの確保をすることや、監視カメラ等防犯設備を整備することです。
これは犯罪を起こしにくい環境を作ることが防犯対策につながるという発想です。90年代に警察大学校編集で立花書房発行の『警察学論集』という雑誌に、警察官僚がアメリカやイギリスの研究をして紹介しています。こういう研究成果を受けて、方策としては「基準」とか「要綱」を策定していきます。とくに2000年に策定された「安全・安心まちづくり推進要綱」は具体的に、公園とか駐車場とか共同住宅等で見通しを良くしなさい、防犯灯の明るさを何ルクス以上にしなさい、エレベーターの籠内あるいは共通のフロア等にカメラを付けなさいという基準を定めたものです。実はこの要綱が出て以降の「生活安全条例」には、この推進要綱を実現するための規定が盛り込まれています。こういう形で、だいたい2000年ごろまでに研究・紹介の具体化が進んできます。
もう一つの「地域安全活動」、ソフト面ですが、参考にしているのはアメリカの「コミュニティ・ポリシング」という考え方で、内容は、地域に警察官が積極的に入り込む、そして警察と自治体・住民・ボランティア団体等との連繋を進める。そして警察は基本的には事件・事故が起きてから活動し始めるんですけれども、それよりは予防先行的な活動を特に求める。
この「コミュニティ・ポリシング」と関連して紹介されているのが、アメリカの「割れ窓理論」です。犯罪は小さな芽のうちに摘むという考え方、ビルの窓が一箇所割れていると、そこからどんどん犯罪者が入り込んでビル全体、さらには地域全体の治安が悪化するから、小さな窓1枚でもきちんと対応しなさい、という考え方です。
        「ゼロ・トレランス」というのは、日本語にすると「寛容ゼロ」ということなんですけれども、これは日本の概念で言えば、軽犯罪法とか条例違反のような軽微な犯罪についても、重要犯罪と同様に徹底して取り締まるという考え方です。
        「割れ窓理論」はアメリカでは1982年にジョージ・ケリングらが提唱して、ニューヨークのジュリアーニ市長が導入したわけですね。だから石原都知事もニューヨークに都の職員を派遣して、これの調査をしています。「ゼロ・トレランス」は徹底的な取り締まりを要求するので、これをやると市民から反発されるという危険性があって、各都道府県警で対応が分かれています。例えば大阪府の条例はこの発想が入っていますけれども、ほとんどの都道府県の「生活安全条例」ではこれを入れていないんですね。
でも「ゼロ・トレランス」的な発想は、例えば最近のビラ弾圧事件に見られるように公安警察が似たようなことをやっていますし、交通警察に至っては2004年6月に警視庁が初めて自転車の飲酒運転で現行犯逮捕しました。自転車も道路交通法上は車両ですけれども、以前は自転車の飲酒ぐらいは注意で済ませていたのに、これからは場合によっては逮捕、厳しく取り締まるということです。皆さんもお酒を飲んだ後はへたに自転車に乗らないようにしたらいいと思います。
地域の警察署では神奈川の平塚の事例なんですけれども、港は基本的に都道府県とか市町村、自治体が管理していて、立ち入り禁止のところもありますが、今まではそういう堤防で釣りをしていたら注意するぐらいで済ませていたのを、パトカーを10台以上派遣して、いちおう任意同行なんですけれども平塚署に連れて行って、人によっては夜まで事情聴取をするという、厳しい対応をしています。だから一部でこういう「ゼロ・トレランス」的な対応が警察に広がっているわけです。

半分以上の自治体に「生活安全条例」

この二つの施策を推進するに当たって、強力な武器になるのが「生活安全条例」です。条例を作った方が自治体の責務が明確になるので、『警察学論集』等では条例を作った方がいい、必須の要件ではないけれども条例はあった方がいいと主張しています。
一般的には「生活安全条例」と言いますが、いろんな名称があります。千代田区の場合は「生活環境条例」と言いますけれども、総称で「生活安全条例」という言い方をします。
実は以前に全国防犯協会連合会、防犯協会の全国版ですけれども、そこのホームページで、北海道から沖縄までの「生活安全条例制定一覧」というものが載っていたんですね。これは非常に便利で、どこの自治体で何という名称の「生活安全条例」が制定されたか分かる。最終更新が2002年の10月で、約1200の自治体で成立していました。それ以降は全然更新されないので、全防連に電話をして「なんで更新しないんですか。どうしても知りたいですね」と聞いたら何か変な対応で、「情報が入って来ないからですかね」という対応でした。今の全防連のホームページでは制定一覧の資料はなくなっていて、警察庁のホームページでは公開していないので、正確にはどこの自治体でどういう名称の条例ができたか分からないんです。警察には情報は入って来ているはずですけれども。
ただ、恐らく自治体の半分以上で制定されていますが、かつては3000を越える自治体があったのに、どんどん自治体の数が減っているので、そういう意味でも正確な数が分からない。
いつから制定され始めたかというと、1994年に警察法改定によって警察庁に生活安全局を設置してからです。22条1号で、「犯罪・事故その他の事案に係る市民生活の安全と平穏」を仕事とする生活安全局を設置してからです。
どういう内容が盛り込まれているかというと、さっき言った「コミュニティ・ポリシング」の発想ですけれども、自治体とか住民の事業者の役割とか責務の規定、こういうものが一体となって活動する。94年以降の初期の「生活安全条例」は、これだけの内容で、5から10条程度の非常に短いものだったんですが、2000年に「安全・安心まちづくり推進要綱」を作ってからは、「環境設計による犯罪予防」を入れた。すなわち、条例の中にカメラを設置しなさいとか、見通しを確保しなさいという規定を入れ始めた。あるいは千代田区のように路上喫煙等を取り締まる「ゼロ・トレランス」規定も入ってきます。
大阪府の条例は、「棒状の器具を原則として携帯してはいけない」と規定していますが、バットとかゴルフクラブも棒状の器具ですね。だから「本来の用途に従い使用する場合を除き」という書き方になっている。皆さんが公園でバットないしはゴルフクラブで素振りをしようと持って歩いていると、警察に職務質問されて、所持の「正当な理由」をきちんと説明できないと検挙されてしまう。
「生活安全条例」は類型としては2つあって、最低限モデル型、あるいは理念型と言えるようなものが初期のタイプです。2000年以降は総合型・規制型と言えるようなもので、地域によっていろんな「ゼロ・トレランス」規定を入れていますし、さらには罰則規定が入っている。改善命令や過料のような行政処分・制裁規定が入ったり、科料や罰金という刑事罰の規定を入れたりします。だから多種多様な、いろんなタイプがあるわけです。全防連の以前あった一覧で見ると、同じ時期に同じ都道府県で似たような名称の条例が一気にできているんですね。恐らくこれは都道府県警とか都道府県単位の防犯協会が一斉に要請して作っていると思うんですけれども、自治体によってはいろんなバリエーションが出てきます。

「不可視のまなざし」の効果

        こういう取り組みにはどういう効果があるのか。
        「環境設計による犯罪予防」の効果としては、従来カメラを付けるか付けないかは、マンション管理組合や店舗など、私人の判断でできるはずだったんですが、条例を根拠に警察が介入できることになります。そして警察と関係がある、すなわちその天下り先にもなっているセキュリティ産業の市場拡大をもたらす。そして地域住民の一定の安心感が生まれるかもしれません。さらに一定の犯罪抑止効果と犯罪解決効果も出て来るかもしれません。これはカメラの形態や設置方法によって異なりまして、はっきりカメラと分かる形のカメラや、「カメラを設置しています」という表示が出ていれば、犯罪抑止効果のほうが高まることになります。一方でドーム型カメラや、カメラ設置を明示していなければ、抑止効果よりは犯罪解決効果の方が一定の範囲で高まる可能性があります。
地域住民の安心感について紹介しておきますと、スーパー防犯灯については「事業評価書」を今年の1月に警察が発表しています。2003年末までに20地区に240基のスーパー防犯灯を設置してその調査をしているんですけれども、この設置によって、スーパー防犯灯が付いた地域の約4分の1の住民が、スーパー防犯灯が整備されたことによって安心になったと感じている。もちろんこれは主観的な概念ですから、本当に安全が確保されたかは別ですね。安全は客観的な概念ですけれども、安心は主観的な概念ですから。安心感が高まることが安全につながるとは言えないわけです。
でもこの「事業評価書」をよく読んでみると、「平成15年」中の活用件数は18件にとどまっている。これに対していたずら・誤報件数が830件です。20地区に240基を設置するには莫大な金がかかっているわけですけれども、1年間の活用状況を見ると18件にすぎない。いかにむだな買い物をしているかですね。それでもセキュリティ産業はしっかりと儲かっている。これはかなり利権が関係しています。
        「地域安全活動」の効果ですが、地域における警察活動が拡大して、地域住民に一定の安心感をもたらします。そして一定の犯罪抑止効果と犯罪解決効果をもたらす。けれども、実はこれはなくてもいいんですね。さっき言ったように、主婦の方とかお年寄りの活動で本当に犯罪解決効果があるかといえば、ほとんどないんです。犯罪抑止効果は若干あるかもしれません。先ほど触れた警察と各種事業者・法人等とのネットワークによって行っている活動の従事者や、地域住民の自主防犯活動にかかわる人たち、つまり監視する側の逸脱行動を防ぐという効果はあります。すなわち本人たちが防犯活動にかかわっていれば、それを通じて自分が犯罪をしてはいけないという気持ちが生まれる。これは非常に警察としてはありがたい。

そして両者を合わせての効果ですけれども、「不可視のまなざし」の内面化による地域住民の逸脱行為の防止があります。どういうことかというと、いまいろんな報道によって、駅とかコンビニとかあちこちカメラが付いていることを私たちは意識します。常にどこかでカメラに監視されているかもしれないという意識が、私たちに芽生えます。あるいは地域での自主防犯活動をしているのを実際に目撃したりして、どこかで誰かに見られているかもしれないと思う。常に私たちはどこかで監視されているかもしれないという気持ちが、自分の意識の中に生まれるわけですね。それが「不可視のまなざし」です。本当に見られているかは分からないですね。でも、そういう誰かに見られているかもしれないという意識から、逸脱行動をしてはいけないという効果が出て来るわけです。
従来、監視社会論・管理社会論で言われてきたのは、ジョージ・オーウェルのいう「ビッグ・ブラザー」型の管理社会、中央集権的な管理社会だったんですけれども、今の管理・監視社会は「ビッグ・ブラザー」型ではない。以前は権力者が監視をしていたんですけれども、いま監視するのは警察官だけではなくて、郵便配達員だったり新聞配達員だったり、時にはヤクルトレディや子供であったりするわけです。すなわち偏在していたまなざしがあちこちに散らばっている。こういう社会を、例えばウィリアム・ボガードという人は「超(ハイパー)管理社会」と言うんですけれども、権力が分散し、そして相互に管理しあう、監視される者が実は監視する者になっている。しかも、とくに富裕層がそうですけれども、自ら監視されることを望む社会です。こういうことが日本でも進んでいるわけです。
さらに併せて考えなければいけないのは、軍事と治安が融合化していく中、「テロ」対策の中で、監視とか管理の強化が着々と進みつつあることです。とくに2004年10月に政府が発表した「テロの未然防止に関する行動計画」で具体的な内容が出ていますけれども、「テロ」対策は日常的な防犯活動と連繋しています。例えば「あそこに中東関係者が住んでいますよ」とか、「朝鮮の人が住んでます」とか、そういうものを日常的に監視する。いざ有事になるとその監視網がそういう形でつながっていく可能性があります。

http://comcom.jca.apc.org/heikenkon/20th/simizu/simizu_3.html
警察化した民衆は暴走する

        講演中 では、こういう「安全・安心まちづくり」にはどういう問題点があるのか。
        「生活安全条例」の問題点を、いくつか項目を絞って指摘します。当然、プライバシー権とか肖像権の侵害を、カメラがあちこちに付けば助長するわけです。そして、上乗せ規制・横出し規制についてコメントすると、例えばいま自治体がとんでもない条例をいろいろと作っているんですけれども、軽犯罪法で例えば人の大小便は1万円未満の科料、あるいは30日未満の拘留ですけれども、杉並区の「生活安全条例」では、動物の糞の放置が5万円以下の罰金なんですね。人の大小便より犬の糞の放置のほうが重たい。人より犬が偉いという発想があるかもしれませんが。
刑事罰より行政罰のほうがいいという発想もありますね。例えば当事者が了解すれば行政罰で済ませるというのは、交通違反の場合がそうですけれども、反則金と点数制度によって対処する。軽微な違反については刑事罰を科さない。そういう発想の中で、条例で刑事罰を科すのは酷だから、行政罰で対応しようという発想があるんですけれども、本当にそれがいいのかどうかですね。
やはり行政罰を活用した方が取り締まりがしやすい。なぜかというと、刑事罰を科す場合には客観的な証拠に基づいて、第三者である裁判官が判断しないといけない。だから取り締まりにも慎重になるんです。行政罰の場合には現場で、例えば千代田区の「生活安全条例」では路上喫煙を見つけたら、当事者がその場で認めたらそこで過料が取れるんですね。こういう取り締まりはおかしいんじゃないかとか、周知徹底していないとか、反論ができる人だったらいいんですが、おとなしい人はすぐその場で払うので、取り締まりがしやすい。そういう取り締まりの仕方がいいのかという問題があります。
実は千代田区の「生活安全条例」の取り締まりをする職員に渡しているマニュアルを読むと、いちばん大事なのは瞬時にしてその人を判断すること、「○○風」と判断しなさいと書いてあるんですね。「ヤクザ風」とか、「おとなしいサラリーマン風」とか、そういうふうに見極めろということらしいんですけれども、ヤクザ風はやっかいになるから声かけは慎重に、サラリーマン風には厳しくと、そういうつもりかどうかは分かりませんけれども。
あと怖いのは、自主防犯活動が盛んになると、「民衆の警察化」になる。オウムの時の事例がいい事例なんですけれども、地域住民が自警団的なものを作って、いろんな活動をしました。警察はいちおう法律によって縛られていますから、できることとできないことがはっきりしていますけれども、地域住民は法律の知識がないから暴走しちゃうんですね。検問をオウム信者に対してやったりとか、荷物検査をやったりとか、さらには撒き菱を撒いて車をパンクさせたりとか、武装した住民がオウム信者を襲撃したりとか、警察ができないことを各地でやっているんですね。
いまの自主防犯活動が怖いのは、エスカレートしていることです。取り組みに熱心な人達が怖いのは、一生懸命にやっているからです。実際に栃木では無線などを積んだ独自のパトカーのような車と制服を用意して活動したりとか。さっき言ったような民間交番をはじめ、普通の市民がどんどん警察化しているんです。
昔の経験では関東大震災のときの自警団による朝鮮人の虐殺がありますけれども、行き過ぎがあればああいう現象が起きる。あと怖いのは、オウムを始めとして過激派とか暴力団、「テロリスト」に人権はないとういう発想で対応する可能性がある。おまえは犯罪者だからとか「不審者」だからとか、例えば名前を聞いて答えられないのは「不審者」だからだとか、そういうことを平気で口にする。警察官であれば警察官職務執行法などによって法の縛りがあるし、教育も受けています。市民はそういう縛りがないから、非常に危ない、暴走する可能性がある。そういう意味で私自身は、市民が警察的な活動をすることには批判的です。

「国家による自由」?

これはちょっと専門的な話で恐縮ですが、こういう活動が拡大されると、行政警察が拡大していくんですね。戦前の内務省がいろんな問題に介入できた、行政警察の典型ですけれども、それを反省して戦後は内務省を解体し、警察を地方分権化して行政警察を縮小したわけです。しかしその縮小したはずの行政警察が、80年代に着々と復活してきている。戦後の警察で中でやはり強かったのは公安警察なんですけれども、いま警察の中で強いのは生活安全警察ですね。
いま治安が悪化しているということで、警察の内部の配置換えをしているんですけれども、じつは警備・公安部門は人が減らされているんですね。それに対してその他の交通とか生活安全とか刑事その他は人が増やされています。だからいま警察の中でも公安は力を落としているんですけれども、そういうことに関して公安警察の中で焦りがあって、ビラ弾圧事件とかを一生懸命やっているんだと思いますけれども。
これが怖いのは、1980年代末からこれまでの警察権の限界と言われていたものを緩めようという議論が、『警察学論集』なんかに出てきます。これまでの警察権の限界とは何かというと、まずは警察消極目的の原則。警察の活動は事件・事故が起きたときに初めてやるのが原則であって、積極的に活動してはいけない。あるいは警察責任の原則。警察権を発動する対象は発動責任を有する者に対してだけであると。犯罪をしたという人間に対してしかできない、犯罪をしていない人には発動してはいけない。あるいは警察公共の原則は、いわゆる民事不介入です。警察比例の原則は、犯罪と見合った形で警察権を行使するという原則ですけれども、こういうものを警察の内部で批判し、緩めようという議論が出ています。
とくに生活安全警察・行政警察では、警察消極目的の原則や警察公共の原則を緩めると言い始めていますね。あるいは「国民の権利・自由の擁護者」論が登場してきていまして、これは警察というのは国民の権利・自由を守る護民官なのだというものです。だから人権侵害に遭っている国民がいる場合には積極的に介入すべきだという議論で、それを受けて出てきたのが「三面関係」論という議論です。従来、国家対警察権限行使対象者という人間関係で、二面関係で警察法体系を組み立ててきた。警察権限を強めると警察権限行使対象者の人権侵害につながる可能性があるから、憲法とか警察法で警察権限行使に歯止めをかけていたわけです。最近の議論は、プラス警察権限行使で利益を受ける者、という存在を設定している。

要するにこれは私人間の争い、ある人がある人に対して人権侵害した場合に、それに対して警察が積極的に介入してもいいんだという考え方が出てきた。第三者である警察の介入で「利益を受ける者」を想定することで、三面関係で物事を考える。私人間で人権侵害があった場合には、従来は警察公共の原則から、警察はなるべく介入してはいけない。被害者が声を上げれば介入できますけれども、介入してはいけないという立場だったんですけれども、これからはどんどん積極的に私人間の問題でも、民事の問題でも介入しなさい、という議論が、90年代から出ています。
学者の中にもこういう警察の介入を助長しかねない議論がいま出ています。従来ドイツで議論されてきた「基本権保護義務論」という考え方があります。ドイツでは「基本的人権」という言い方ではなくて「基本権」という言い方をするんですけれども、国民が持っている基本権に対して、国民=私人が私人の基本権を侵害した場合に、国家が積極的に介入して、その国民の基本権を保護しなければいけない、さらにはそういう基本権を保護する義務があるんだという考え方がドイツでは盛んです。それを日本でも導入すべきだという議論が、憲法学界でも最近出ています。この考え方は先ほど言った、三面関係論にフィットする議論です。警察の中から出てきている三面関係論や権利・自由擁護者論を助長しかねない議論が、学界の中で出てきているわけですね。
似たような議論としては、「国家による自由」論があります。これはどういう考え方かというと、民法の学者が最近言っているんですけれども、仮に基本権を「国家からの自由」に限定するならば、「国家からの自由」というのは、国家が国民の自由を侵害してはいけない、だから基本的人権は自由がまず大事だという議論ですけれども、これに限定すると殺人や窃盗、強盗、強姦など、個人の権利が他の個人によって侵害を受けても、国家はそれを傍観して良いことになってしまう。だからそれを傍観しないために、「国家による自由」が必要だと。国家がどんどん介入して国民の安全を守りなさいという議論が、民法学者から出ています。
こういう発想に近い最近の立法は、ストーカー規制法とかDV防止法などです。従来警察が私人間の問題に慎重であったのに対して、最近はこういう法律によって警察が積極的に介入し始めているという問題があります。国家の介入に対しては慎重でなければいけないし、こういう議論を慎重に見ないと、すべての領域で国家の私的領域への介入を認めますよという批判的な議論があります。水島朝穂さん、岡本篤尚さん、芦部信喜さん、西原博史さんなどがそういう批判をしています。
また、権力による価値の注入の問題もあります。これはフランスのミシェル・フーコーが議論したことですけれども、彼の議論はいまの監視社会でも使えるんじゃないかと私は考えています。カメラや防犯活動による「視線」や、条例違反への「処罰」や、防犯活動への参加や条例遵守について、防犯活動に参加するか否か、条例を守るか否かという「試験」を通じて、規律訓練が行われていく。
ミシェル・フーコーが議論の題材としたのは、19世紀にベンサムが発明した「パノプティコン」という、一箇所で囚人を監視する監獄ですね。その監獄で、囚人からは看守が自分たちを見ているか分からない構造にすることによって、常に見られているかもしれない「不可視のまなざし」を囚人に内在化させることによって、囚人たちは脱獄等をあきらめてしまい、規律訓練が可能になってしまう。そういう議論を彼はするわけです。

しかし19世紀のパノプティコンでは、これはまだ生身の人間、看守という人間が監視するわけですから、24時間常に監視できるかというと、そうではない。しかしいま20世紀以降は、カメラの登場によって、カメラがデジタル化、常態化することによって、可能性としてのパノプティコンというものが、現実性として常に監視ができるという状況に代わってきた。そこでミシェル・フーコーが議論していたパノプティコンをさらに一歩進めて、いまのこの監視・管理のさまを「超(スーパー)パノプティコン」だという議論が、例えばウィリアム・ボガードという人が論じています。
そしてこういう社会においては、権力者が何が正常・普通で何が異常かという決定をする。すなわちいまのような社会であれば犯罪をしない人々と不審者という区分けをするんですね。人々は自分が犯罪者とか不審者というレッテルを張られたくないから、率先して地域では自主防犯活動にかかわる。あるいは事業者等が率先して防犯活動にかかわる。他人から不審者というレッテルを張られたくないという意識から、積極的にかかわる。
こういう中で規範化、規格化ということが進みます。あるいは千代田区の条例などがそうなんですけれども、従来の権力というのは、その人を殺せる、死に関する権限を持っていたんですけれども、いまや公権力は人々をどういうふうに生かすか、生命を管理する権力となっています。その中で「快適」とか「健全」を追求するわけですけれども。その典型的な事例として挙げられるのはナチス・ドイツです。ナチスはタバコ規制とか肉食規制など、健全さを求めていくわけですけれども、「生活安全条例」の中では快適な環境とか規範意識を植え付けるとか、「健全な青少年の育成」、そういうことまでも口出しをし始めています。
実はそれは似たようなものとしては、少子化対策基本法で結婚して子供を産むことを国民の責務にしたり、健康増進法によってタバコをやめていくことを国民の責務にしたり、あるいは先の国会で成立した食育基本法によって学校とか家庭その他で健全な食生活に務めることを国民の責務にするということが進んでいる。そういう流れの中で「生活安全条例」を考えていく必要があるんじゃないかというふうに思います。

「治安回復」に向けて

では最後に、今後はどういう方向で進むか。
今後の「治安回復」に向けての展開予想というのは、2004年6月の警察政策学会で元警察庁長官の山田英男氏が報告した内容で、彼が今後こういうふうに進めるべきだと報告した内容です。実際にはこういう方向で一部すでに進んでいるし、進んでいくものと思われます。
この中で今後の検討課題として考えなければいけないのは、いま盛んな「生活安全条例」や「安全・安心まちづくり」で問題になっているのは「犯罪機会論」という考え方、犯罪を起こしやすい状況を作ると犯罪を犯すから、犯罪を起こしにくい状況を作るべきだという議論ですね。これは首都大学東京の前田雅英氏とか、立正大学の小宮信夫氏といった人たちが一生懸命に主張しているんですけれども。しかしこの「犯罪機会論」というのは、犯罪のそもそもの原因を隠蔽するし、そして犯罪原因を本人の意識問題にすり替える可能性がある。
実際になぜいま犯罪が増えているかですけれども、これはいつの時代でもどの国でも、経済が悪化すると犯罪が増えている。実際に日本で増えているいまの犯罪は、8割以上は財産犯なんですね。物盗りが中心です。それはバブルがはじけて、いまの構造不況の中で、失業者が増えて失業率が5%を超えたり、ホームレスが2万人を超えたり、自殺者が3万人を超えるといった状況の中で犯罪が増えている。新自由主義改革によって犯罪が増えている。「犯罪機会論」はこの根底にある、犯罪を増やしている新自由主義改革を変えようという発想はないわけです。
こういう中で一方で、実は治安は悪化していないんだという議論があります。これに対してどう見るべきかですけれども、私は一橋大学の渡辺治氏と同様に、犯罪は増えているという立場に立ちます。確かにいまの警察・政府発表は犯罪認知件数であって、犯罪認知件数は警察が犯罪と認知した数です。なぜ犯罪認知件数が増えているかというと、いろんな要因があって、従来警察は軽微な犯罪、窃盗等にきちんと対応しなかった。でもこれは桶川のストーカー事件以降、軽微な犯罪についてもきちんと対応しろと方針が変わったので、従来無視してきた犯罪に対してきちんと対応するようになった。
あるいは国民の意識が変わって、そういう物盗りとか痴漢とかを我慢していた国民が、きちんとそういうものに対して声を上げたりとか、被害に遭ったことを届けたりする対応に変わってきた。そうすれば当然、犯罪認知件数が増える。さらに先ほど紹介したストーカー防止法とかDV防止法という、従来犯罪とはしていなかったものを新たに犯罪に加えることによって、当然それは犯罪認知件数を増やすことになります。
治安は悪化していないと論じる人たちは、認知件数と犯罪の実数がほとんど変わらない殺人については、十数年全然変わっていないから、そこでそれ以外の犯罪についても実は増えていないんだという批判の仕方をしますけれども、そうではなくて、いまの8割の犯罪は財産犯であるように、景気の悪化、新自由主義改革の結果によって財産犯が増えていると見るべきだと思います。
だからこそ警察が「安全・安心まちづくり」を進めている。それは、これからの新自由主義社会は、一部の「勝ち組」と大多数の「負け組」を生み出す社会であって、いつ、誰が解雇・リストラされたりホームレスになるか分からない。実は私たち自身が「犯罪者予備軍」として見なされているし、さらに教育分野に競争原理を導入することによって、大量の落ちこぼれを生んでしまう。そういう少年たちが非行に走る。そこで子供たちに対しても、すべての子供たちをひとまず「犯罪者予備軍」と見なした上で、子供たちに対して規範意識を植え付けようとしている。一部の犯罪者とか「不審者」対策で進めているのではない。いつ、誰が、犯罪者になるかも知れない、だからこそ私たちが「犯罪者予備軍」と見なされて、あちこちにカメラを付けたりとか、防犯活動をしているわけであって、そういう側面を見ていく必要があると思います。

私たちが気をつけなければいけないのは、一方でこういう動きを歓迎する動きが市民の中であることです。不安感が高まる中で、こういう取り組みをもっとしてほしいとか、自らかかわろうとしている。冷静に考えてほしいのは、安易に警察の下請け機関的なことをやっていいのかということです。
日本の場合にはとくに近代立憲主義をきちんと経験していない。市民革命をやっていませんし、公権力に対する猜疑心が非常に薄い。近代立憲主義が定着したというか、市民革命を経験している国では、公権力は必要だけれども、公権力は暴走するから憲法を作って、そして国民が権力を監視することを考えたんですけれども、日本ではそういう経験を充分していない。そういう中で安易に警察主導のもとで市民が警察官の協力をするとか、警察的な活動をするということは、先ほどの行政警察の拡大がそうですけれども、ますますその警察権限を拡大して、国民の言論の自由を自ら放棄することになりかねない。そういうことに関しては、やはり慎重でなければいけないというふうに思います。
まだまだ「生活安全条例」というものの危険性が知られていない。私は2002年以降がんばって、できる限りのことは書いたり話したりしてきましたが、まだまだ知られていません。すでに自治体の半数以上で条例ができています。法律とか条約の問題はマスコミが報道しますから皆さん関心を持つと思いますけど、条例の問題というのは全国紙がほとんど取り上げないし、皆さんもあまり地域のことには関心がないようで、その中でこういうのがすんなりとできている。今後お願いしたいのは、こういう条例ができて地域でも取り組みをしているところについては、行き過ぎがないように監視をしてほしい。そしてまだ、もし条例ができておらず、この条例ができるということであれば、それに対する一定の取り組みをしてほしいと思います。
この条例にきちんと反対してくれるのは社民党と共産党と生活者ネットですね。地域だと民主党の議員でも反対する人もいます。ですからそういうところに積極的に働きかけをして、取り組みをしてほしいと思います。一方で推進派は自民党と公明党です。皆さんも地域で、いろんな人たちと一緒に、この問題に取り組んでいただきたいと思います。
ご清聴ありがとうございました。

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15547951 submission
Android

自由なソフトウェア、メタデータに価格を含めることを禁ずるGoogle Playポリシーに影響される

タレコミ by headless
headless 曰く、
アプリタイトルなどのメタデータに価格情報を含めることを禁ずる Google Play ポリシー改訂 9 月に発効したが、これにより自由なソフトウェアが影響を受けているようだ (Android Police の記事F-Droid のツイートCatimaLoyalty の GitHub Issue)。

新ポリシーで禁じられる価格情報の中には「free (無料)」も含まれる。そのため、(おそらく機械処理により) いつの間にか「free software」にフラグが付けられていることがあるという。「F-Droid Nearby」はアプリの説明に「free software」が含まれるが、開発者に電子メールで通知されることなくフラグが付けられていたようだ。開発者は Google Play 開発者コンソールの受信トレイに通知が届いているのを偶然見つけ、Google Play でのランキングが落とされていることに気付いたとのこと。

「free (自由)」は「free (無料)」と混同されがちであり、無料という意味を持たない「libre」を使用することも多いが、それでも誤判定は発生する。ポイントカード管理アプリ「Catima」は以前「Catima — The Libre Card Wallet」というタイトルで公開されていたが、ノルウェー語版とオランダ語版のタイトルがポリシー違反だとして却下される。開発者は当初何が問題なのか理解できなかったが、各国語版のタイトルをさらに英語へ翻訳したものが判定に使われているらしいことに気付く。

そのため、ノルウェー語の「frie」とオランダ語の「vrije」は「無料」という意味ではないと反論したが通じず、数日後には他の言語版でもポリシー違反が指摘されることになる。最終的には英語版タイトルの「Libre」まで「Free」と訳され、ポリシー違反とされたそうだ。開発者は結局、タイトルに「Libre」 (と各国語の相当する単語) を入れることをあきらめたようだ。現在の英語版は「Catima — Loyalty Card Wallet」となっている。
15548085 submission
医療

乳腺外科医の準強制わいせつ事件で最高裁弁論

タレコミ by Anonymous Coward
あるAnonymous Coward 曰く、
地裁で無罪、高裁で逆転有罪となった「乳腺外科医の準強制わいせつ事件」で、上告審弁論が1月21日に開かれた。
最高裁は2審の判断を変更する場合に弁論を開くことが多いため、男性に懲役2年の逆転有罪判決を言い渡した2審・東京高裁判決が見直される可能性がある。

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typodupeerror

計算機科学者とは、壊れていないものを修理する人々のことである

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